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midcentury house(ミッドセンチュリーハウス)
ミッドセンチュリーな平屋、家づくりをサポート
近代建築の四大巨匠、ル・コルビュジエ、ミース・ファン・デル・ローエ、フランク・ロイド・ライト、ヴァルター・グロピウス。
ミッドセンチュリーモダン建築を語るとき、避けては通れない巨匠たち。彼らはカリフォルニアで活躍した建築家たちにも多くの影響やインスピレーションを与えました。
ヴァルター・グロピウスは、ブルーノ・タウトやヴァン・デ・ヴェルデ、ペーター・ベーレンスらと1907年にドイツ工作連盟を立ち上げ、後にバウハウスの初代校長に就任。
ミース・ファン・デル・ローエやコルビュジエと同じくペーター・ベーレンス事務所に所属していました。
一時フランスに亡命。その後ハーバード大学に招かれたグロピウスは、同大学に再入学したフィリップ・ジョンソンやキンジ・イマダを教えています。
“We want to create the purely organic building, boldly emanating its inner laws, free of untruths or ornamentation.”
Walter Gropius(1883-1969)
"less is more"
"God is in the details"
近代建築を世に広めようと活動していたミース・ファン・デル・ローエは、後にMOMAのキュレーターとなるフィリップ・ジョンソンと面会。その後フィリップは近代建築展を主催し、リチャード・ノイトラなどを紹介しています。
1930年頃、ナチスの台頭によって退任した前任者に代わり、グロピウスの推薦でバウハウスの校長に就任。モダニストを育てることに尽力しましたが戦争の波に逆らうことはできず、その後ナチスによる強制閉校の危機が迫ると自らバウハウスを解散させ、自身もドイツを抜け亡命します。
アメリカに亡命したミースはシカゴのアーマー大学(現イリノイ工科大学)で教鞭をとります。
ファンズワース邸は教授時代の1950年に手がけました。当時64歳。
Mies van der Rohe(1886-1969)
1914年に鉄筋コンクリートの住宅建築工法「ドミノシステム」を発表。
27年にミース・ファン・デ・ル・ローエ率いるドイツ工作連盟主催の住宅展に参加したり、近代建築国際会議(CIAM)にグロピウスやミース、アアルトと共に参加しています。
ちょうどそのころ、パリへやってきたアルバート・フレイがコルビュジエの事務所で働きはじめました。
1936年にルシオ・コスタに招かれブラジルへ赴き、オスカーニーマイヤー(ブラジリアのPilot Plan考案者)と公共事業を手掛けます。戦後、再びニーマイヤーと共にNYの国連本部ビルをデザインしました。
“The home should be the treasure chest of living.”
Le Corbusier(1887-1965)
Frank Lloyd Wright(1867-1959)
"Study nature, love nature, stay close to nature. It will never fail you."
"Space is the breath of art."
19世紀後半にシカゴ派の大家サリヴァンの事務所で働いていたライトは独立。
1906年にアメリカの大地に広がるようなプレイリースタイルと呼ばれる住宅様式を考案し、ロビー邸を完成させます。それは屋根裏や地下室などを廃して建て物の高さを抑え水平線を強調したスタイルで、ヨーロッパの新古典主義が主流だったアメリカの住宅様式に新しい風を吹き込みました。
モダンデザインの第一線で活躍していましたが、スキャンダルから1909-11年にドイツなどヨーロッパへ赴きます。そこで自身の作品集編纂に携わりました。
それはちょうどドイツ工作連盟の工芸ゼミナール(バウハウスの前身)の校舎が建てられた頃のこと。ライトの渡欧は少なからずヨーロッパの近代建築に影響を与えることとなります。
スキャンダルによって過去の人とみなされていましたが、30年代から再び脚光を浴びるようになります。
タリアセンではリチャード・ノイトラなど多くの有能な弟子たちとともに創作活動に専念。
有名な落水荘やジョンソンワックス邸などで返り咲いたライトは、初期にうちだしたプレイリースタイルの発展系としてユーソニアンハウスを考案。これは、より多くの人に安価で良い家を提供したいという思いから作られたものでした。
36年にユーソニアンハウスの第一作目となるジェイコブス邸を手掛け、39年には後にジョセフ・アイクラーが住みその後の人生を大きく変えることとなるBazett Houseを完成させました。
産業革命やシカゴ大火、鉄筋コンクリートの発明などの転機から大きく近代化のうねりがはじまった時代。巨匠たちの活躍によってその波は国や世代を超えて波及していきます。
戦争という黒雲が一度は世界を覆うものの、探究心や情熱は黒雲の隙間をぬけてさらなる流れを生み出していきました。そうして、現代においても褪せることのない魅力的な建築物が次々と誕生していくのです。
archiveで取り上げるのは、その中でもカリフォルニア、とくに南カリフォルニアエリアでうまれ、静かに強く愛され続けている建築や名工たちです。